「初心忘るべからず」と「溺れる者は藁をもつかむ」
医師になりたての若い世代の方が「なぜ医師になろうと思ったのですか?」と質問されたときに「病気で困っている人を助けてあげたいと思ったからです」と答えられているのをときどき拝見します。が、正直言って私はそのようなすばらしい動機があって医師になろうとしたわけではありません。「ほかの仕事に比べて自分には向いているのかなあ」と考えたぐらいでした。
医師免許を取得して仕事を始めて時間がたつと、患者さんが良くなっていただけないときにも遭遇します。また「不治の病」ともされることがあるがん患者さんの主治医になるときもあるでしょう。そのようなときに「もうどうすることもできない」と判断することもあるのかもしれません。「病気で困っている患者さんを何とかしてあげたい」という志を持っていてもです。やはりあきらめたくはありません。「あきらめてはダメ」という考えがこの歳になって私にはますます強くなっています。
苦しんでいる患者さんがおられたら「何とかならないか」と考え続けて、若い世代の医師も模索し続けて欲しいのです。「病気で困っている人を助けてあげたいと思ったからです」という初心を忘れてはいけないのです。患者さんの中には「溺れる者は藁をもつかむ」のお気持ちの方もいらっしゃいます。
どこかに何か手立てがあるかもしれません。どういう手段であっても「良くなられればOK」です。
私が日頃大事にしている言葉が2つあります。
一つは「書かれた医学は過去のものである。目の前の患者にこそ新しい医学がある」という日本の内科学の父ともされる沖中重雄先生のお言葉です。自分で何かを見つけてそれを実践したときに患者さんが良くなられたとすれば、それは新しい医学です。「エビデンスがまだない」などと言いたくありません。
もう一つは「希望こそは、あらゆる患者にとって、最良最善の薬剤である」という日本漢方の父ともされる寺澤捷年先生のお言葉で、「患者さんに希望を与えるような医療」を実践したいと思います。
今の私は、何か新しい治療手段がないか探し続けています。果てのない道です。ときどき新しいものを見つけます。そのときの喜びは格別です。以前よりますます探求心が大きくなっています。あきらめてはそこで止まってしまいます。
若い世代の医師たちへ「エールを送る」気持ちで書きましたが、これは私自分を奮い立たせるためでもあります。残念ながら現状の私では太刀打ちできない方がいらっしゃるのも現実です。
もっとも私には「初心忘るべからず」ではないですが・・・。