「木を見て森を見ず」はあっても「森を見て木を見ず」はない
「木を見て森を見ず」「森を見て木を見ず」という言葉があると思っていました、たった今まで。これを書こうと思って調べると「森を見て木を見ず」という言葉はないそうです。言われてみれば、確かに森をみると自然に木も目に入りますね。
漢方薬をはじめとする伝統医療には、現代医学のような血液検査やレントゲン検査、内視鏡などはありません。ですから五感を駆使してなんとか病状を把握して快方に向かっていただけるように考えます。その際には体全体がどのようになっているのかということをとても大事にします。まさしく森を見るのです。そして全体的なバランスが悪くなっているところを見出すと、それに対してどのようにすればよいのかを考え、その結果で困っている症状等を改善させようとするのです。とはいっても、まさしく今困っている症状に対して直接治療しようともします。そうしなければしんどい期間が長くなってしまうことにもなるでしょうし。
「木を見て森を見ず」というのは、1本の木が枯れかかっているのを発見した場合その木にばかり気がいって森全体を見ることがないということです。その木に十分な光が当たっていないという状況があれば、森全体を見ればそれに気付くのは容易なことだろうと思います。しかしその木の根元にいた場合は、そういう状況になっていることがわからない場合もあるでしょう。そのために枯れかかった木に肥料を与えて、何とか元気にしようとするかもしれません。残念ながらそれではその木がよみがえることはなく枯れてしまってもおかしくありません。
全体を見渡して、枯れそうになっている木に光が当たっていないことに気づけば、その周りの木を少し伐採すればすべてうまくいくかもしれません。枯れそうな木に肥料を与えてもうまくいかなくて、挙句の果てにその木を切ってしまうなんていうことがあれば悲しいです。
こういうことは、身体だけでなく世間のいろいろなことに対しても同じことが言えるのかもしれません。ロシアとウクライナ、イスラエルとハマスの戦いもその所だけを見ていては判断を誤ることにもなるのだろうと考えます。難しいのでしょうが、平和になることを切に願います。